関西ソニョシデ学園

過去に生きるK-Popのブログ

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 読了


てな訳で『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』を読み終えました。
途中にアン・レッキーの高潔な小説を挟んだので、なんとも淫猥でガチャガチャした読後感となりましたが、アン・レッキー挟まなくてもあまり印象は変わらない気もします。
SF評論家でアイドルヲタの大森望氏によれば「歴史改変ものとしても、巨大ロボットものとしても、謀略サスペンスとしても、ポストサイバーパンクとしても、ディストピア小説としても、戦争小説としても、人間ドラマとしても、素晴らしい」そうです。
そうゆうジャンル的な読み方ができるのは否定しませんが、素晴らしいかと言えば「どーなんでしょう?」
少なくとも、ジンジャーさんがおっしゃったように『高い城の男』に比肩するほどの小説ではないと思います。




ビジュアル的には素晴らしんですけどねぇ。これは画家の力であって作者の力量じゃないし、小説の中にこんなシーンはちょっとしか出てこないし。
あとテレビゲームが重要な役割をするんですが、私はこの10年ほぼゲームやってないので、物語の中で語られるようなゲーム世界がイメージしにくくて、そこが残念。
作品時代が持つ軽薄さ(そういう持ち味を狙ってたのかもしれませんが)のせいで、なんだかファミコン的なピコピコした音が、読んでる間ずっと脳内で鳴ってました。
ファミコンの安い音は究極のフックソングですな。中毒性がある。


参考記事 おっちゃん&ミンジュの怪しいK-Pop喫茶[第15話] PPAPスタイルソング


まぁこの小説を面白いと思うか、意欲的だが未熟とするかは各人の勝手だと思いますが、どの書評でも言及してないことがあって、それは「極めて韓国的なフィクションである」と言うことです。
作者のピーター・トライアスは韓国系アメリカ人、ティパニかジェシカ辺りを想像してもらうとわかりやすいと思いますが、そうゆう立場の人です。
本人はたぶんアメリカ人のつもりでいて、日本文化に強く影響を受けたと言っていますが(間違いじゃない)、どっこい根っこは韓国人だなぁと思う訳です。
何故かというと、この小説には韓国的な要素がいっぱい入ってます。いくつか挙げると、
①政治的タブーに対して挑戦的である
②主人公及び重要人物が身体的欠損である。または欠損する。
③性に関する直接的な描写は避ける
④糞便の描写には積極的だ
⑤個人的な問題はともかく社会的には解決しない終わり方
⑥家族意識が強く、最終的には家族の問題に収束する
ていうあたりじゃないでしょうか?
他にも神の扱い方など、西洋人とはだいぶ違う気がします。
だから、これをハリウッドで映画化したら、恐らく作者の考え方とはだいぶ違うものができるんじゃないかと思いますね。
ポン・ジュノパク・チャヌクに監督させればいいんでしょうが、そうすると世界的に受けるかどうか疑問です。変な受け方したりして(笑)
出来が懸念される、こういう例もあります。


    
    『Goast in the shell』予告編


映像的にはかなりいいです。でもテーマ的にはどの程度継承されるんでしょうか?
このお話は、士郎正宗の原作が進化論、押井守の映画が東洋的創造神話をテーマにしていると思うんですが、ハリウッドはそんなもの真っ先にゴミ箱にポイしたような気がしますね。
マトリックス』の元ネタだってことで押井の映画が有名になりましたが、ウォシャウスキー兄弟が参考にしたのはあくまで表現であってテーマではないのです。
ハリウッド映画なんてスピルバーグに骨抜きにされて、今じゃペラッペラな世界観しか持てない訳ですから、『USJ』が映画化されても東洋的な深いテーマはあまり期待できないと思います。


話がそれましたが、ピーター・トライアス
第435話〜第437話 そに散歩 〜ロサンゼルス篇〜
でも取り上げたサイレント・マイノリティ的思想にどっぷりつかっているような気がします。
そのような視点でこの小説を読むと、また面白いのではないでしょうか。


いろいろ言いましたが、それなりにポップで読みやすい書き手だとは思うので、今後もどんどん輸入されて日本と韓国、アメリカをつなぐSF作家になってくれればと思います。