関西ソニョシデ学園

過去に生きるK-Popのブログ

第436話 そに散歩 〜ロサンゼルス篇〜 (中編)

    
ナレーション:今日の『そに散歩』は前回の続き。新生テティソがロサンゼルスをぶらつきます。




05:コリアンタウン(承前)
    
てくてく
ソニ「それにしても教会の多い街やなぁ」
ティパニ「そやろ。ロスに限らず美国のコリアンタウンには教会が多い。
  移民の格言で、”日本人が二人集まれば会社を組織し、中国人が二人集まれば食堂を経営し、韓国人が二人集まれば教会を建てる”とゆうんやけど、それぐらい多いねん」
ナレーション:コリアン教会の数は全アメリカで3000に及ぶとか。
  韓国で教会に通う人が全人口の2割であるのに対し、アメリカでは実に7割に達すると言われています。
  もちろん純粋な宗教活動の他に、移民同士の情報交換や親睦という意味があるにせよ、驚異的な数字です」
ティパニ「日本に住んだ移民たちがインビジアル・マイノリティとして透明化するか、逆に民族のアイデンティティを守るためことさら朝鮮文化にこだわり続けたのと違って、アメリカではコリアンのままアメリカ文化に溶け込むことが出来る。
  その分、宗教を大事にしたのかもしれんね。コリアンタウンには教会の他にお寺も結構あるし」
ソニ「ふーん。そしたら自分も、この街の教会に通ってたんやね」
ティパニ「ウチが? いんや」
ソニ「(かくん)ええっ? 自分、カトリック違ったんかい?」
ティパニ「そうやけど、別にウチはこの街に住んでた訳やないから」
ソニ「は?」
ティパニ「コリアンタウンには韓国人の会社や店が多いけど、住んでる人はあまりおらんよ。治安もよくないし。
  ここに住んでる人の多くはアフロアメリカン(黒人)かラティーノ(ヒスパニック)やね」
ソニ「マジで? ウチはてっきり韓国人の多くがここに住んでるものやとばかり…」
ティパニ「うーむ。そんじゃここいらで在美コリアンについてきちんと説明しておくか」
テヨン「特にいりませんけど(もぐもぐ)」
ティパニ「いーや、無理からでも教えてやる!」


ナレーション:同じ朝鮮半島からの移民と言っても、在日コリアンと在美コリアンでは、その実態は大きく違っています。
  ひとつには前回言ったとおり、アメリカには1965年以降に移民してきた人がほとんどだと言うこと。
  もうひとつは在美コリアンに北側出身の人々はほとんどいないと言うことです。これはアメリカが朝鮮戦争で南側を支持していたことから容易に理解できると思います。
  渡美して来たコリアン移民の多くはベトナム景気に沸いていた韓国側からで、みな最低限の資金を手にしていました。
  さらに、日本と違って低賃金の単純労働は、すでに黒人やヒスパニックによって占められていたのです。
  そのためコリアンの多くが自ずと自立して商売を始めるようになりました。
ソニ「よおそんな都合よく商売できたな」
ティパニ「こっから南東に13Kmばかり行ったところにワッツって街があるんやけど、そこが移民法が改正された1965年に暴動に遭うてなぁ」
テヨン「暴動?」
ティパニ「黒人による打ち壊しやね」
ナレーション:1965年11月、ロサンゼルス市の南東にあるワッツ市(現在はロサンゼルス市に吸収)で、飲酒運転をしていた黒人二人が警察に逮捕されると言う事件がありました。
  黒人と警官の間にちょっとしたいざこざが発生し、その現場をいつの間にか多数の黒人が取り囲みました。
  危険を感じた警官は応援を呼び、黒人はさらに取り囲みの人数を増やし、ついに両者が衝突。一気に暴動へと発展したのです。
  ワッツ市全域で放火・略奪が横行し、投入された警官は14000人。実に死者34名、逮捕者4000人と言う未曾有の暴動事件となりました。これがワッツ暴動と呼ばれるものです。
  この事件を契機に、当時この街で営業していたユダヤ人やイタリア人などの白人が撤退することになったのです」
ティパニ「そやけど、残された黒人やヒスパニックに自分の店が持てる金はなし」
ソニ「そこに入り込んだのがコリアンってことか」
ティパニ「ぴんぽーん」
ナレーション:ワッツを足がかりにコリアンの商人はロスへ進出してきました。
  コリアンが営んだ店はリカーストア(酒を扱うコンビニ)やクリーニング店などが多く、これが黒人にも需要が高かったため、次第に黒人が多く住むサウスセントラルにコリアン商店が増えることとなりました。
  しかし、急激なコリアンの成長は元々の住民である黒人との軋轢を生む結果となったのです。
ティパニ「もともとウチらコリアンは働くことを厭わない民族。早朝から深夜まで一日14時間以上働いて、少しずつ店を大きくして行った。
  そやけど、黒人相手に商品を売って、使うてる従業員の多くはヒスパニックや。で、ちょっと金を貯めると、上品な白人居住区に住んで、ベンツを乗り回して、白人の子分みたいな顔してる。
  それがアフロアメリカンの連中には気に入らんかったんやろうな。コリアンが成功するほどに連中との間で緊張が大きくなって行ったんや。
  もともとアフロアメリカンてのは白人に無理矢理連れて来られた奴隷の末裔な訳やけど、今では生まれついてのアメリカ市民やし、プライドの高い人たちや。
  食い詰めてメキシコから半ば不法に越境してきたヒスパニックとは違う。それが当時のコリアンにはわからなかったんや」
ソニ「本当は黒人かて多民族な訳やろ?」
ティパニ「もともとはそうや。アフリカ大陸全土に渡る豊かで広範な民族性があるはずやのに、白人は十把一絡げに”ニグロ”で済ませる訳や。自分たちの民族は細かく分けてるくせにな。
  で、それをコリアンが白人と同じ見方するから不満がたまる。コリアンかて、中国人や日本人、ベトナム人と一緒に”アジアン”とか”黄色”と言われたらどう思うか、黒人の立場で考えるべきやったんや」
テヨン「漫才師ちゃうわい!って思うよな」
ティパニ「その”アジアン”ちゃうわ」
ソニ「そやけどやっぱり自分たちの生活ばかり優先してしまうのは仕方ないやろ」
ティパニ「実際には結構アフロアメリカンのために寄付したり運動したり、仲良くしてたらしいけどな。
  それが表面的なものに過ぎないことが1992年のロス暴動で明らかになった訳や」
ソニ「また暴動?」
ティパニ「このロス暴動こそウチら在美コリアンが自らのアイデンティティを見つめ直す大きな転機となったんや」
テヨン「アイゼンカツラ?」
ティパニ「自分、無理してボケようとしてるやろ?」
テヨン「さぁ?(ぴーぴー)」


ナレーション:ロス暴動の原因はロドニー・キング事件とその判決と言われています。
  ですが、実際にはそれはひとつのきっかけで、永く差別されて来たロサンゼルスの黒人たちの不満が爆発したものと言う見方がほとんどです。
  ロドニー・キング事件とは、1991年の3月にスピード違反で捕まった黒人青年ロドニー・キングに白人の警官が殴る蹴るの暴行を加えたもの。
  この様子は付近の住民によってビデオ撮影され、翌朝テレビで放映されました。
  たちまち黒人団体や民権運動家たちが警察へ押しかけ、大騒ぎになり、暴行を加えた警官たちは逮捕されました。
  しかし、翌92年4月29日、法廷は全員の無罪を宣言します。陪審員の中にはひとりの黒人も含まれていませんでした。
  この結果に激怒した黒人たちはもはや怒りを抑えきれず、暴動へと発展したのです。
  ロスの街はたちまち破壊と炎に蹂躙されました。
ソニ「マジで?」
ティパニ「ウチはこのときまだ3歳やったんやけど、街中が燃えて、銃声が響いて、えらい怖かったのは覚えてるわ」
テヨン「コリアタウンも襲われたん?(喜)」
ティパニ「うん…てか自分、急に目がランランと」
ソニ「暴力沙汰好きやからなぁ(呆)」
    
    
    
ナレーション:暴動は黒人の多く住む南側から始まり、サウスセントラル地区でも多くの店が放火され、商品が略奪されました。
  暴徒たちはコリアタウンの北に位置するビバリーヒルズなどの白人居住区を目指しましたが、そこは警官隊によって武装警護されていました。
  しかたなく彼らは無防備だったコリアタウンを襲ったのです。
  警察や消防は白人だけを守り、コリアンたちには一切救援の手を差し伸べようとしませんでした。
  それどころか、黒人がコリアンを襲うように、元々あった韓・黒の確執を煽るような態度をとったのです。
テヨン「うーむ。黒人め、ゆるさん」
ティパニ「この街で黒人の悪口はゆわん方がええで」
ナレーション:と、そこへ現れたのは地元の住人と見られる黒人のおじいさんです。
オールドマン「(ひょこひょこ)おお、ファン家のステファニーじゃないか!」
ティパニ「あ、おじいさん。こんにちは!」
オールドマン「久しいなぁ」
ハグハグ
ソニ「誰や?」
テヨン「明らかに韓国人の敵の黒人のじじいやな」
ティパニ「失礼なことゆうな」
オールドマン「俺たちはチングー(친구)なのさ」
ソニ「友達やて?」
ティパニ「この人はこのあたりのアフロアメリカンの長老や。子供の頃ずいぶん面倒見てもらうたんやで」
テヨン「ええ、敵に世話になってたんか?」
ティパニ「敵やないって」
テヨン「そやけど今の話の流れやとどうしたって敵やろう」
ティパニ「その話には続きがあるんや」
オールドマン「どれ、俺が話してやろう」
ソニ「うーむ。このままだとナレーションだらけになると思ったディレクターが、急遽ぶっ込んできた解説委員やな」
ティパニ「そんな裏事情、探るんじゃねえ」


オールドマン「…92年の話をしていたのか? あれはひどい春だったな。
  俺も若くて、みんなと一緒にコリアタウンに行ったよ。夜中の11時頃だった。
  タウンの入り口をコリアンの自警団が守っていた。団長らしき男が”ブラザーズ!”と声を掛けた。
  ”君らの気持ちはよくわかる。ロドニー・キング事件の判決に怒るのはもっともだ。だが、我々も白人に差別されている。君らが襲うべきなのは白人居住区だ”
  言われてみればもっともなので、俺たちはコリアタウンを避けて北へ向かった。が、そこはもう白人の警官どもでガチガチに固められてた。
  あっと今に40人ぐらい拘束されて殴られた。
  仕方なく俺たちはコリアタウンに引き返して、火をつけたよ」
ソニ「え、なんで?」
オールドマン「その時は怒りで何かを破壊しないではいられなかったのさ」
ナレーション:コリアンは仕方なく自警団を作って、暴徒に対して威嚇射撃を行いました。そのほとんどは空砲でしたが、
  その様子をマスコミがテレビで流し「コリアンが暴徒を狙って撃っている」と黒人の怒りをかき立てるような報道をしたのです。
  すべては白人が自らを守るためでした。コリアンは彼らの犠牲にされたのです。
    
    
オールドマン「結局俺たちは白人にいいように操られ、コリアンはスケープゴートにされたって訳さ」
ソニ「それはやりきれませんねぇ」
ティパニ「暴動は3日間続き、それは多くの店が燃やされ、略奪されたそうやで」
ナレーション:ロス暴動は史上最大の被害もたらしました。
  死者は53人、負傷者4000人、火災発生箇所5300ヶ所、被害総額7億5000万ドル(当時)。そのうち半分近い3億4500万ドルはコリアンの被害です。
オールドマン「俺たちは破壊して火をつけたが、略奪はしなかった。店の商品を洗いざらい持って行ったのはヒスパニックなんだ」
     略奪するマリオ親子
ナレーション:コリアンたちは必死に防戦しました。
  ラジオコリアは非常放送に切り替えて、様々な情報を流し援護しました。
  どこそこの店に火がつけられたから手の空いてるものは消火に行ってくれとか、どこのストアの屋上では銃弾や食料が不足しているぞ、などです。
  テレビ局も特別放送を流し、コリアン青年の結集を呼びかけました。サンタモニカ大学に通うイ・ジェソンくんもその放送を聴いたひとりでした。
  しかし、ジェソンくんがそれに呼応して暴動現場へ駆けつけたところ、銃弾を浴びて死亡しました。
  これがロス暴動での唯一のコリアン死亡者です。不幸なことにその銃弾を浴びせたのもコリアン、つまり暴動による犠牲ではなく事故だったのです。
オールドマン「その事件がロス暴動の悲劇性を高めたのは確かだ。
  白人が黒・韓確執を煽ったにもかかわらず、実際の犠牲者は当時の人口比率とほぼ同じの黒人17、ヒスパニック15、白人5、アジア系2だった。
  つまり誰が誰を狙った訳じゃなく、無差別に被害が出たんだ。みんな怒りにまかせて暴れてただけなんだ。
  3日もたつと、みんな冷静になってきて”これはやばいぞ”と思い始めた。
  5月2日にはロドニー・キング本人が記者会に出て、”こんな暴動はいけない。裁判で勝つことが大事だ”と言ったので、徐々に暴動は収まっていった」
テヨン「ちぇ」
ティパニ「舌打ちすんな!」
オールドマン「同じ頃、あるコリアン女性の呼びかけで、平和を望む人々が集結した。当時はちょうどこの辺り、アドモアって場所に公園があって、そこに10万人もの人々が集まったんだ。
  コリアンも黒人もヒスパニックもいた。その頃には本当に悪いのは俺たち黒人じゃなく、白人中心のこの国のあり方だってことはわかっていたから、コリアンも俺たちを責めたりしなかった。
  俺たちは犠牲になったコリアンの若者に黙祷を捧げると、通りに出て平和を祈る行進を始めたんだ。韓国の楽器を打ち鳴らし、俺たちは箒を持って瓦礫を片付けた。
  みんな口々に”We Want Peace!”て叫んでたよ」
ソニ「(涙)うう、在美コリアンてパニやシカみたいにアホばっかりやと思ってたら、そんなつらいことがあったんやね」
ティパニ「アホや余計やろ。まぁそれで、コリアンはマイノリティとしての自分らの存在を嫌でも意識するようになった。
  一方でアフロアメリカンやラティーノとも上手くつきあえるコリアンも出てきたって訳や」
ソニ「なるほど、それでこのじいちゃんは友達やと」
ティパニ「そうそう」
テヨン「ふん。それぐらいの差別やイジメなんかウチら湖南人が受けてきた迫害に比べればどうってことないわい。
  そっちはたかだか半世紀、ウチらは1400年も虐げられて来たんや」
ソニ「まぁまぁ、それを言い出したらきりがないから」
オールドマン「お嬢さんの故郷も迫害されていたのか? そんなに永い間、よく耐えてきたな」
テヨン「まぁその代わり済州の奴らを人間外の扱いして、いじめてやったからな(かっかっか)」
ティパニ「(こけ)あかんやん」
オールドマン「まさにミドルマン・マイノリティ。かつてのユダヤ人のようやな」
ソニ「だから嫌われるんや」
テヨン「なんやてぇ!?」
オールドマン「まぁ結局、人間はどこでもそう変わらないってことだな」
ティパニ「うん。そうかもね」
ソニ「お、さすが番組の手の者。上手いことまとめやがったな」
ティパニ「だから、裏事情を探るなって!」
ナレーション:と、誰も喜ばないのに、いつになく重いテーマとなった『そに散歩』。
  実はまだ続くのです。
ソニ「お楽しみにー」
テヨン「こんな暗くちゃ楽しめねえよ」







※今回は参考文献として
 『コリアン世界の旅』 野村進著 講談社
 『アメリカ・コリアタウン〜マイノリティの中の在米コリアン』 高賛侑著 委秀写真 社会評論社
 を利用させていただいた。
 どちらも、これまでタブー視されたり、日本の中で興味を持たれなかった部分に鋭い視点で挑み、徹底した取材と冷静で客観的な判断の元書き上げられた名著である。
 これらの書を通して、世界の中でのコリアンアーティストの立ち位置や裏側が見えてくる部分も多い。
 それ以前に、読み物としておもしろい。興味をお持ちなら一読をおすすめする。


※「アメリカではコリアンのままアメリカ文化に溶け込むことが出来る」…とは言ったものの、実際に同化することは難しいようである。
 アメリカは人種のるつぼなどと言うが、るつぼとは溶鉱炉のことである。ここから各民族が解け合い、新しい一つの価値観、文化を形成するべきとする、るつぼ理論が生まれる。
 が、実際には白人社会(WASP)は自分たちの文化にこだわり、アフロアメリカンやアジア民族が同化するのを拒んでいる。
 当然、アフロアメリカンにもアジアの各民族にも、誇るべき文化や言語があり、これは維持したい。
 そこで、1990年頃からサラダボウル理論と言うのが唱えられるようになった。
 各素材の色や味や食感などをオリジナルのまま保ちつつ、ひとつの料理でもあるサラダになぞった文化形態だ。
 二重言語、二重文化のまま多民族国家としてのアメリカを支えようという考え方である。


※ロス暴動のもう一つのきっかけとしてト・スンジャ事件が上げられることがある。
 これはロドニー・キング事件から2週間後のサウスセントラルで、ジュースを万引きしようとした黒人少女を店番をしていたコリアン女性ト・スンジャさんが後ろから撃って射殺したもの。
 が、実際には少女はジュースの代金を手に握っていたことから、黒人の間に怒りがわき上がった。
 そして、この事件はマスコミによって一方的にコリアン側が悪く報じられた。
 トさんは同年11月に執行猶予付きの判決を受け、街から転居していったが、マスコミはこの程度の罰では納得いかないと、翌年4月末にロス暴動が起きるまで繰り返しこのニュースを流していた。
 コリアンの街を破壊した黒人の中には、ト・スンジャ事件を思い浮かべていた者もいたかも知れない。


※コリアンタウンはロスのほぼ中心にある。これをもってコリアンがロスの中心的なポジションを占めてると考えるのはよほどおめでたいと言うべきだろう。
 もともと白人はロスの北側に、黒人は南側に住んでいた。その中間にかつてはミドル・マイノリティたるユダヤ人がいた訳だが、ユダヤ人がいなくなった後、白人社会が意図的にその空隙にコリアンを住まわせたという意見がある。
 つまり黒人やヒスパニックのような貧困層に対する緩衝地帯である。
 実際ロス暴動ではコリアンタウンがそのように機能しており、ここでも白人によってマイノリティがはめられた構図となっている。