関西ソニョシデ学園

過去に生きるK-Popのブログ

第129話 フランダースのタコ (続 たこ焼き姫)

あの津波が何もかも奪ってしまった。
屋台も、ガス台も焼き器も、生きる気力さえ…


不景気で客足が減ってどうにもならなくなり、商売仲間の多くが新しい河岸を求めて旅立って行った。
僕は、あの娘が来るかも知れないとずいぶん粘っていたけど、春を待たずにそれも限界になった。
友人のひとりが、北の方まで足を延ばしてみると言う。それも面白いかもな。
…思えば、彼に付き合ってこんなところまで来たのが間違いだった。
どんなに貧しても、あの娘を待っているべきだったのだ、いつもの公園で。


背丈を遙かに超える津波に全財産を押し流されながら、必死に走って命だけは助かった。
何時間も彷徨って、やっと避難所に辿り着いた。水も食料も電気も毛布もない、僕と同様に無力な人たちばかりのこの場所が、避難所というのなら。
長時間海水に使っていたせいか、すっかり体調を崩したようだ。
何をする気も起きず、寝てることしかできない。寒くて震えが止まらない。
頻繁に地面が揺れ、床が踊り、天井が割れて建材が落ちてくる。
この避難所も危ないと誰かが言う。だけど、何処に行けばいいのか誰も知らない。
とにかく、水が欲しい、それに暖かい食べ物も。
そして何より、あの娘に逢いたい…


その時、雲の隙間から光が差し込むように、急に避難所の窓が明るくなった。
軽やかな、舞うような足取りで誰かが避難所に入って来る。
周りの人たちは疲れ切った顔に驚きを浮かべて見ている。
光を背にした美しいシルエットが僕の前で立ち止まった。そっと温かい指が僕の顔を撫でる。
「はらぼじ…」
美しい影が言った。
「はらぼじ、タスケニキマシタヨ」
僕は年甲斐もなく泣き出した。
奇跡が本当におこるなんて、それまで信じてなかったから。


ユリさんと彼女の仲間たちが、避難所に笑顔を連れて来た。
ユリさんとサニーさんは、意外に農作業が得意だ。
避難所の裏に畑を作って小麦の種をまいている。
サニーさんは野放しになっていた牛や鶏を集めて来て飼い始めた。
小麦粉に加えて、牛乳と卵があればいろんな料理が出来る。みんな大喜びだ。
他の娘たちは流された家屋の廃材を拾って来て、たこ焼き屋台を作っている。
焼き器もどこからか手に入れたようだ。
「モウイチド、はらぼじノタコヤキ、タベタイデス」
ユリさんが照れたようにそう言ってくれた。何より嬉しい言葉だ。


震える身体に鞭を打って海に行った。
浅瀬に運の悪いタコが数匹いた。上手く身体が動かないけど、数時間かかってなんとか捕まえることが出来た。
水に浸かったせいで咳が止まらない。タコを入れた籠を引きずるように避難所に向かう。
たった数キロの距離が果てしなく遠い。とうとう倒れて動けなくなった。
「はらぼじ!」
帰りが遅いのを心配したのか、ユリさんが迎えに来て僕を見つけてくれた。
「はらぼじ、ダイジョウブデスカ?」
僕はタコの入った籠を指して言った。
「ユリさん、お待ちどう、これでおいしいたこ焼きを…ごほっごほっ」
咳で後半が上手く言えなかった。決めようと思ったのに。
「タコヤキハ、モウイイデス。イマハゲンキニナッッテクダサイ」
ユリさんは僕の手を握ると言った。美しい顔が涙で光っていた。
「ユリさん、ごめん。これからは自分でたこ焼きを焼いて…ください」
「はらぼじ!」
目の前に涙で光る漆黒の瞳があった。黒い肌、黒い髪…
「ああ、僕の黒真珠…」
「はらぼじー!」
ユリさんの声が天使のラッパのように響いていた。


おっさん「ん? たこ焼きオジイ、今朝はえらい静かやな」
おばはん「そやな。いつもなら今頃起き出して”僕は、僕は”て昔の自慢話ばかりしよるのにな」
おっさん「おいオジイ、そろそろ起きんと。今日はおにぎりの配給あるらしいで。一緒に…あ、こらあかん」
おばはん「どないした?」
おっさん「もお事切れとるで。昨日捕って来たタコの籠抱いたままピクリともせえへん」
おばはん「ええ? せっかく津波から逃げ延びたゆうのに、運のないじいさんやなぁ」
おっさん「それにしても幸せそうな顔して死んどるわ。まるでルーベンスの絵を見たネロみたいやなぁ」
おばはん「ほななにか? このタコがパトラッシュか、わはは。あ、笑たらあかんな」
おっさん「それにしても、こんな事態やから葬式も出せへんな」
おばはん「そもそも本名も親戚も判らんのでは出しようがないわ。あとは役所に任せようや」
おっさん「不憫やけど仕方ないなぁ。なんまいだなんまいだ」
たこ焼きオジイ「(ムク)ユリさん!」
おっさん「うわあー」
おばはん「で、出たー!」
どばばばばば!
たこ焼きオジイ「なんやなんや、胸くそ悪い。お化けでも見たような顔で逃げて行きよってからに。
  あ、例の無呼吸症候群の症状が出たんかな。今度は何分息止まっとったんやろ?
  その内ジャック・マイヨールの記録に挑戦出来るかもな、いひひ。
  それにしてもええ夢見たなぁ。ユリたん(ぽっ)、ボクは何とか生きとるで。
  ボクのたこ焼き食うて笑う顔、もういっぺん見るまでは、死んでも死に切れんさかいな」


………
……


スヨン「(もぐもぐ)こ、こりゃあ美味い!」
ユリ「そおやろ? 新世界デパートの日本B級グルメフェアで見つけて来たんや」
ジェシカ「ぴゃー! なんじゃ、この香り、食感、最高やな」
ヒョヨン「確かにこれは美味すぎる」
ソヒョン「なんてゆう食いモンなん?」
ユリ「梅田阪神名物の”いか焼き”ゆうんやて」
ティパニ「イカかぁ、なるほど。やっぱり欧米人のウチとしてはタコよりイカやな」
ユリ「当たり前や。もおたこ焼きなんか食えたもんやない。これからはいか焼きの時代やで!」







※いか焼き…たこ焼きほどメジャーではないにしろ、大阪ソウルフードのひとつ。
 タコの代わりにイカを具にしたモノと思われがちだが、ルーツはチヂミとも言われるように”ジョン”によく似ている。
    
 イカの切り身を、溶いた小麦粉と焼き、甘いソースを塗ったもの。ただ焼くのではなくプレス機で平たく成型するのが特徴。
 有名店は幾つかあるが、梅田阪神のものにこだわっている府民多し。